熊本家庭裁判所 昭和61年(少)95号 決定
少年 S・Y(昭40.12.10生)
主文
本人を中等少年院に送致する。
中等少年院収容期間を1年間とする。
理由
(非行事実及び適条)
本件記録中の熊本保護観察所長作成にかかる通告書中の「保護観察の経過及び成績の推移」及び「通告の理由」に各記載されているとおりであるので、これを引用する(少年法3条1項3号イないしニに該当)。
(処遇)
本人は、昭和59年8月9日当裁判所において、毒物及び劇物取締法違反保護事件により熊本保護観察所の保護観察に付されたものであるが、保護観察官や担当保護司あるいは保護者等の懸命の指導にもかかわらず、勤労意欲は向上せず、又、再三にわたりシンナー吸入に及ぶなど、保護観察の効果が思うにまかせない経過をたどる中で、暴力団関係者との交際もみられるようになり、同61年1月24日熊本保護観察所長より本件通告がなされたものである。ところで、如上の経緯に照すと、本人の規範意識や更生意欲は著しく低いとみられるのであり、今回の調査経過においてもなお、内省の深まりはなく、具体性のない反省の言や他罰的ともいえる応答が眼につくばかりである。しかして、本人がかかる状況に至つた背景には、本人自身の、自己中心的で依存心が強い反面、耐性や持続性に欠け、快楽追求の強い行動傾向と、これを助長してきたとみられる、本人の幼少時よりの実母との接触不足や愛情欲求不充足等の問題点が存するものと考えられるところ、本人の保護者たる継父及び実母は、いずれも、本人に対する指導に限界を感じている現状にある。
以上の次第によれば、この先在宅処遇のままで本人を保護指導するのは著しく困難といわざるを得ず、この際は、本人を収容処遇に付し、前掲問題点の除去改善と成人としての自覚・責任を備えさせるべく矯正教育を施すのを相当と解するものである。
なお、本人にはこれまで収容処遇を受けた経験がなく、又、その年齢も満20年3か月を過ぎたばかりであること等の事情も考慮し、本人を1年間に限つて中等少年院に送致することとする(少年院法2条3項における「・・・・・・おおむね16歳以上20歳未満の者」とあるのは、本件の如き犯罪者予防更生法42条に基づく通告事件においては、これを、「・・・・・・おおむね16歳以上おおむね20歳未満の者」と解釈しても、原則として支障はないものと思料する。)。
よつて、犯罪者予防更生法42条2項及び3項、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用し、主文のとおり決定する。
(裁判官 石村太郎)
参考 通告書
熊保観第71号
通 告 書
昭和61年1月23日
熊本家庭裁判所 殿
熊本保護観察所長 ○ ○ ○ ○
下記の者は、少年法第24条第1項第1号の保護処分により、当保護観察所において保護観察中のところ、新たに同法第3条第1項第3号に掲げる事由があると認められるので、犯罪者予防更生法第42条第1項の規定により通告する。
氏 名
年 齢
(S・Y)昭和40年12月10日生
本 籍
熊本県鹿本郡○○町大字○○××番地
住 居
本 籍 に 同 じ
保
護
者
氏 名
年 齢
S・R子
明・太・<昭>14年2月22日生
住 居
鹿本郡○○町大字○○××番地
本人の
職業
無 職
保護者
の職業
○○商店店員
決定
裁判所
熊本家庭裁判所
決定の日
昭和59年8月9日
保護観察の経過及び成績の推移
別紙1のとおり
通告の理由
別紙2のとおり
必要とする保護処分及びその期間
中等少年院送致
期間1年
参 考 事 項
添付書類
1 質問調書(本人分)写1通
2 質問調書(母、S・R子分)写1通
別紙1
(保護観察の経過及び成績の推移)
本人は昭和59年8月9日保護観察処分決定、同日母親S・R子同伴で当庁に出頭したので、遵守事項を誓約させ担当者に○○○○子保護司を指定し、保護観察を開始した。
特に本人の性格及び毒物及び劇物の乱用傾向を配慮し、職業の選択、一般生活指導による生活態度の改善に配慮した。
保護観察開始後4ヵ月間は、レストラン「○○○○」や○○産業(有)で稼働しながらも仕事の選り好みをしたり、無断外泊1回があったりで不安定の状態が続いたが、日常生活の大きな乱れは認められず、その間、担当者の往訪23回、本人の来訪7回と適当な接触もあり成績は普通域で経過した。
その後の状況は次の通りである。
59年12月から60年3月までの4ヵ月間に往訪25回来訪4回の接触をなして指導を受け自宅近くの○○産業(有)に就職したが、欠勤が多くなり断続的に外泊5回あり、サウナ、車中、友人宅に泊っていた。
本人は家が狭く、妹3人が居るのでイライラすると訴えた。
60年1月31日主任官面接指導(同伴者、母、担当者)
60年4月から60年6月までの2ヵ月間に、往訪11回、来訪2回接触をなして指導を受ける○○○社に転職し雑役夫として10~15日稼働した。60年4月25日主任官面接指導(同伴者母)
60年7月
往訪6回、来訪1回、職業を紹介したが、選り好みして就業せず、時々外泊する(本人述)、7月始め(期日不明)シンナー吸引した(父述)
60年8月
往訪7回、来訪0回
○農園に転職稼働4日
8月17日出頭指示日に不出頭
60年9月
往訪4回、来訪0回
○○建設に転職し稼働5日
9月20日出頭指示日に不出頭
9月20日担当者往信する本人はどこかに行かないと殺される詳しくは後で話すと電話を切る。
9月21日担当者往信する。本人に対し昨日殺されるかも知れないと言ったことを問いただすが、曖昧な返事であり、医者に行き診察を受けることについて指導し、父はそのようにさせたいと同意した。
60年11月
往訪5回、来訪1回
○○青果市場に転職し、稼働23日、11月27日、制限速度違反、運転免許証不携帯、初心者マークの不表示等の交通非行あり。
60年12月
往訪4回、来訪2回
○○高圧コンクリートに転職し稼働20日夜は青果市場でアルバイトをしている(22日)。自動車の月賦返済に追われていると訴える定職就業について強く担当者は指導した。12月9日シンナー吸引をしたので急ぎ来て欲しいとの母親からの来信あり、急ぎ往訪したところ、本人が自宅近くをフラフラ歩きをしているのを母親が見つけ、連れて帰宅し厳しく注意したところであると言う。
本人は19歳最後の日だから吸いおさめと言っているが、言葉もハッキリ聞き取れない。頭痛がすると言って炬燵にもぐり込む。
12月15日来訪、本人に在宅、20歳を期して絶対にシンナーに手を出さないことや趣味の転向等について約束させる。本人も、A、Bらが「まだシンナーをやっているのか、今度吸ったら殺すぞ」と言って叱られたので深く反省していると言う。
12月18日、呼出指定日につき出頭した。同伴者(父母)主任官面接質問調書作成及び観察課長においても面接指導をなす。同日はまた映画「恐るべきシンナー遊び」を上映して見せる。時折母親が居眠りする本人をたたいて起こしている場面があった。
61年1月
1月6日担当者往信、本人は外泊して不在と母親が答えた。
1月9日担当者往訪したが本人は不在、今は失業していると父親母親とも手におえない状況を話す。
1月12日往訪したが本人は不在で失業していると言う(父母述)
1月16日担当者往信する、父親からの電話内容は次のとおりである。
(1) 本人は不在であるが1月7日シンナーを吸引して車を乗り廻し、玉名の青年(氏名不明)からメガネを強奪しその上ジュースを押売りしたので警察に通告されている
(2) 成人式に着用する背広を暴力団○○組の舎弟頭C某から借用しそれを着て成人式に出席している
(3) 1月16日夕方になっても外泊して帰宅していない。
1月21日担当者往信し本人と話す。
今日は職業安定所に行き仕事をさがすと言う。1月22日来訪することを約束する。1月22日約束した来訪がない。
以上のとおり、本人は遵守事項に違反し、生活は不安定の状態を継続しているものであり、総合成績は不良である。
別紙2
(通告の理由)
主任官及び担当者は、本人との接触を濃密にし、人間関係の形成と一般生活指導に基づき、特にシンナー吸引及び交友関係の改善を重点に指導したにもかかわらず、本人は
1 昭和60年12月9日午後7時ごろ表記住居においてシンナーを吸引したほか、同年7月上旬ごろから同61年1月7日までの間、前後4回にわたり、主として、熊本県鹿本郡○○町地内において、自己の所有する普通乗用自動車の車内で、シンナーを吸引した。
2 昭和61年1月15日成人式に出席するための背広を暴力団○○組舎弟C某から借用して着用し、もって暴力組織組員と交際した。
3 昭和61年1月15日から正当の理由なく無断で自宅を出て同年1月20日ごろまで帰宅せず保護者に何の連絡もしていない。
以上の事実は、少年法第3条第1項第3号のぐ犯行為に該当し、その性格及び環境からみて、保護観察によって改善更生を図ることは困難であり、かつ自己又は他人の徳性を害しさらに罪を犯す虞れが極めて大きいので少年院に収容して矯正教育を行うことが相当と思われる。